今日の投稿は、いつもとちょっと違う毛色のものになります。
これからお話することをブログに書くべきかどうか、正直迷いました。
ですが、いつもこのブログを読んでくれているあなたのために、書くことを決めました。
多くの人に知ってもらう必要はありません。あなたに知ってもらえればそれでいいんです。
ここで重大なお知らせがあります。
この投稿は、本ブログ『カリパイの日々』での最後の投稿となります。
今回の投稿が、自分自身へのケジメという意味合いもあるからです。
は?何言ってんだカリパイ!
という人もいるでしょう。まずは落ち着きましょう。
そして、この投稿を最後まで読んでください。
すべてをお話ししますから。
※16,000文字と少し長くなりますので、時間があるときに読んでくださいね
目次
はじめに
結論から言うと、カリパイは今、1人で暮らしています。
このブログでたびたび登場していたカリパイ妻(以下A子)、そして子どもたちは、もうここにいません。
もしかしたら「何となくそうかなぁと思ってた」という読者さんもいるでしょうね。
記事にまったく登場しなくなりましたから笑。
一体何があったのか?
まずはこの話からするべきでしょう。ことの顛末を時系列に沿ってお話します。
そして、そのあとに、現在の心境や今後についても少し触れたいと思います。
ここまでの経緯
A子との出会い
今から3年前。カリパイが語学学校にいる頃、その当時よく一緒に遊んでいたフィリピン人の友達の紹介で知り合いました。
たまたまマクタン島のビーチで、ちょっとしたパーティーをやるということで友人に誘われて参加したとき、A子がそこにいたんです。
初めて彼女を見たときは「ちょっと性格がきつそうだけど世話好きで明るい子だなぁ」と思ったことを覚えています。
お互いに共通の友人がいるという安心感から、あっさり連絡先の交換をしました。
そしてそれから毎日連絡を取り合うようになり、次第に二人の距離は近くなっていきました。
後でA子に聞いた話ですが、最初の頃はカリパイに対して良く思ってなかったそうです。
なので、メールのやり取りなんかも、正直言って面倒くさかったそうですが、カリパイがまめにメッセージを送るので、
次第にそれが当たり前のような感じになり、いつしか、カリパイという存在がA子の生活の一部になっていったとのことです。
一方カリパイは、A子がちょっとウザがってたことなど知るよしもなく「オレに気があるな」という大きな勘違いを炸裂させながら、ガンガンアタックしていました。
今思えば、こういう勘違いも大きな力になるんだと、いい勉強になりましたね。
A子との関係に変化が生じるきっかけとなった大ゲンカ
カリパイ的にはA子はすでに自分の彼女だと勝手に思い込んでいたので、語学学校を卒業後も、引き続きセブに残ることにしました。
このとき、タイミング良く現地の日系企業に採用され、新たにコンドミニアムも借り、まさに「セブでの第2幕」が始まった気分でしたね。
その当時、A子は地元の小さなツアー会社で事務職員として働いていました。
それほど儲かっている会社ではなかったようで、仕事の少ない日は休みになることもしばしば。
なので、A子と会うための時間は、比較的自由に作れる状況でした。
そんな中、出会った後に迎えた最初のA子の誕生日2週間前、それまでで最大規模の大ゲンカをしました。
その時はまだお互い「友達」という関係。それでも、A子は週に2日ほど、カリパイがその当時住んでいたコンドに遊びに来て、たまに泊まっていくことがありました。
ケンカの理由はA子からの一言でした。
A子「一つ聞いていい?」
カリパイ「えっ?何?」
A子「私たちの関係って一体何なの?」
カリパイとしては、もう二人は付き合っていると勝手に思い込んでいました。
カリパイ「関係?カップルじゃん。」
A子「あなたは何も分かってないのね・・・」
カリパイ「は?どういうこと?」
A子「そうやって上手いこと言って、他にも女がいるんでしょ?」
カリパイ「他に女?いるわけないじゃん。A子、大丈夫か?」
A子「じゃあ何であなたはプロポーズしてくれないのよ!」
ここでいうプロポーズとは、結婚してくださいという意味ではなくて、「付き合ってください」という告白みたいなニュアンスです。
カリパイ「え?俺たちってもう付き合ってるんじゃないの?」
A子「だからあなたは何も分かってないのよ!もういい!さようなら!!」
そう言い残し、部屋を飛び出そうとしたA子を必死につかまえました。
A子「離してよ!もう二度とここには来ない!」
そう言って泣き崩れるA子を見て、一体何が起こっているのか理解するのに一瞬時間がかかりましたが、すぐに状況が飲み込めました。
A子はすでにオレのことが好き。でも、きっと不安なんだ・・・
カリパイ「あなたの彼氏になってもいいですか?」
A子「・・・」
カリパイ「私の彼女になってくれませんか?」
A子「考える時間が欲しい・・・」
カリパイ「どれくらい待てばいい?一日?一週間?一ヶ月?」
A子「分からない。でもとにかく待って。」
彼女の表情は先ほどよりも少し柔らかくなり、ちょっとだけホッとしたようにも見えました。
その日A子はそのままコンドに泊まっていくことになり、迎えた翌朝、もう一度A子に聞いてみました。
カリパイ「おはようA子。答えは出たかな?」
A子「おはよう・・・」
カリパイ「それで答えは?出た?」
A子「・・・」
カリパイ「黙ってたら分からないよ。出た?まだ?」
A子「答えは・・・NO」
カリパイ「・・・」
カリパイ「分かった。それがA子の出した結論なら受け入れるよ。」
A子「の反対」
カリパイ「?!」
A子「だから、NOの反対!」
そういって満面の笑みでカリパイのほほをつねるA子。
「なんやねん!この青春ドラマみたいな展開は!」とその時思いましたし、今こうして当時のことを思い出してみても、なかなかの茶番っぷりに座布団一枚!といった感じです。
何はともあれ、こうしてカリパイとA子は、正式に付き合うことになりました。
他のフィリピン人女性がどうかは知りませんが、A子にとって「プロポーズ(告白)」は大切なものだったようですね。
乗り越えるべき壁との戦い
正式に付き合うことになったあとに迎えた彼女の誕生日。
カリパイはそこで「うちに来て一緒に住まないか?」と提案しました。
A子の返事はYES。こうして、2人での生活が始まることとなります。
朝は2人ともバタバタでした。
遅刻が当たり前のA子に対して、なんとか遅刻クセを直してあげたい一心でした。
生活リズムを整え、規則正しい生活になるよう心がけていましたね。
お互い出勤した後は、勤務時間中にもかかわらずガンガン送られてくるA子からのメッセージに「今忙しいからあとでね」と返事をするカリパイ。
すると「なんで?誰か他の女と話してるから?」「今何やってるの?」「写真を撮って今すぐ送って」というような超絶束縛100%のメッセージが送られてきます。
ある日、A子に話をしました。
カリパイ「フィリピンではそれが普通かも知れないけど、日本では勤務時間中に個人的なSNSはよくないんだよ。そういうことをしていると社内での信用を失うから。理解して欲しい。」
A子「ここは日本じゃないでしょ?フィリピンよ。」
カリパイ「言いたいことは分かる。でもオレはフィリピン人じゃなくて日本人じゃん。」
A子「あなたが日本人でも、フィリピンで暮らしてるんだからフィリピンのやり方に従うべきよ。」
この手の話し合い、ときにはそれが原因でケンカになりますが、まぁたくさんしましたね。
育った国が違うもの同士が付き合う場合に、必ず直面する問題でしょう。
「自分の当たり前が相手の当たり前と違う」
いいんですよ。そんなの絶対ありますから。
同じ国で育った者同士でも価値観の違いなんて当たり前ですよね。
そもそも価値観が同じなんてこと、あり得ませんよ。
先ほどの議論にもあった「どちらのスタイルに合わせるか」という発想、カリパイは好きではありません。
どちらのスタイルとかではなく、自分たちだけのスタイルを作り上げていけばいいんです。
フィリピンスタイルではなく、日本スタイルでもなく、カリパイ&A子スタイルです。
例えば、先ほどの遅刻の話。
日本だと遅刻はあり得ませんよね。
じゃあ時間にものすごく厳しいかと言えば、サービス残業は当たり前。これじゃあ整合性がないですよ。
逆にフィリピンの場合、遅刻は当然のようにしてきても、終業時刻になると1秒も違わずに退社する。
時間に厳しいのか緩いのかどっちやねん!って思います。
なので、カリパイの考えるスタイルとしては「遅刻はしない。残業もしない」という、日本とフィリピン双方の良さを生かしたものを目指したいと考えました。
勤務時間中にA子から執拗に送られてくるメッセージも、やはり勤務中には緊急の要件でない限り、返事はしません。
ですが、休憩時間にはビデオコールなどでしっかりコミュニケーションを図りA子を安心させる。
このような意識のすり合わせを、日々の生活の中で何度も積み重ねていき、よく言われがちな「国際カップルは上手くいかない」という壁を乗り越える努力をしてきました。
彼女からの重大告白と大きな決断
A子と付き合い始めて1年が経った頃、カリパイは今後のことも考えて「結婚」を意識するようになっていました。
そんなある日、外食をしている席で軽くA子に聞いてみました。
カリパイ「オレさぁ、A子と結婚してもいいと思ってるんだよね。どう思う?」
A子「えっ?・・・」
楽しい雰囲気で食事をしていたA子。カリパイの発した一言の後、みるみる表情が険しくなっていきました。
カリパイ「A子?大丈夫?」
A子「・・・」
カリパイ「どうしたの?気分を悪くしたのなら謝るよ。」
A子「・・・そうじゃないの。」
カリパイ「じゃあ何でそんなに気落ちしてるの?」
A子「あなたにどうしても話さなければいけないことがあるの・・・」
カリパイ「えっ?何?深刻な話?」
A子「とりあえず場所を変えましょう。」
2人は店を出た後、黙ったまま歩き続けました。
そして、ちょっとした広場のような場所にあったベンチに腰を下ろしました。
ベンチに腰を下ろした後、お互い口を閉ざしたまま30分ほどが経ちました。
その間、A子は何か思い詰めたような表情のまま、身動き一つ取りませんでした。そこで、カリパイが口を開きました。
カリパイ「話って何?」
A子「・・・」
カリパイ「話してくれないと何も始まらないよ。心配しなくてもいいから。」
すると、A子がようやく話し始めました。
A子「私、カリパイに内緒にしていたことがあるの。」
カリパイ「そうなんだ。話してくれてありがとう。」
A子「でも、この話をするとあなたはきっと私のことが嫌いになるわ。」
カリパイ「・・・」
カリパイ「じゃぁどうする?これからもずっと内緒のままにしておく?」
A子「・・・」
カリパイ「A子の様子から想像するに、今まで内緒にしてきて苦しかったんでしょ?」
A子「・・・」
カリパイ「どんな内容の話でもちゃんと受け止めるよ。話してみて。」
その5分後。A子はいよいよ覚悟を決めたような表情で、静かに話し始めました。
A子「実は・・・私には子どもがいるの」
そう言った途端、A子のほほに大粒の涙が流れました。
A子「今まで内緒にしててごめんなさい。」
この時、正直に言って何となくそうかなぁと思っていました。何となくですけどね。
カリパイ「そうだったんだね。正直に話してくれてありがとう。」
A子「・・・」
カリパイ「でも、そんなことって言ったら語弊があるかも知れないけど、そんなことで悩む必要ないよ。」
A子「騙すつもりはなかったの。ただ、言い出すきっかけがなくて・・・」
カリパイ「とにかく正直に話してくれてありがとう。それで、子どもは男の子?女の子?」
ここでA子の口から予想外の言葉が出てきます。
A子「3人・・・」
カリパイ「えっ?どういうこと?」
A子「子どもは3人いるの・・・」
これにはさすがに驚きました。
何となくですが、一人ぐらい子どもがいるんだろうなぁと薄々感じてはいましたが、まさかの3人とは。
やや動揺の表情が隠せないカリパイに対して、A子が続けました。
A子「だから前にも言ったけど、私はあなたにふさわしい女性じゃないの・・・」
そういえば、「私はあなたにふさわしくない」って言葉、何度か聞いたことあったな。そういうことだったんだ・・・。
A子「だからもう、別れましょう。私にはあなたと付き合う資格なんてないのよ。」
カリパイ「・・・」
A子は号泣しながら続けました。
A子「私のこと嫌いになったでしょ?ねぇ?嫌いになったでしょ?」
こういうときって、何て言えばいいんだろう・・・。
仮にA子を責め立てたとしても、何も生み出さないでしょう。
このまま黙って立ち去る?
きっとそれもできるでしょう。
しかし、カリパイの中ではもう明確な答えが出ていました。
カリパイ「事情は理解したよ。それから結婚の話は一旦無かったことにしよう。」
A子「・・・」
カリパイ「でも、オレはA子と別れるつもりはないからね。」
A子「えっ?」
カリパイ「いつもA子に言ってるよね。自分たちだけのスタイルを作ろうって。」
A子「・・・」
カリパイ「だからチャンスをくれない?」
A子「チャンスってどういう意味?」
カリパイ「A子の子どもたちの面倒を見るよ。だから、みんなで一緒に暮らそう。」
A子はただ泣きながら、カリパイの言葉に黙って何度も何度も頷いていました。
カリパイ「3人かぁ・・・。いろいろお金がかかるよね。まぁいろいろやってみるか。」
実はこれまでに、A子は一度もお金の催促をしたことがありませんでした。
A子は自分の給与のほぼ全額を、子どもたちの面倒を見てくれている実家へ入れていたんです。
A子はカリパイのコンドで暮らしていたため、子どもたちと過ごす時間が少なかったことは言うまでもありません。
カリパイ「よし、決めた。このコンドミニアムを解約しよう。ここの家賃分で子どもたちのサポートをしようよ。そして、子どもたちにはやっぱり母親が必要だ。だからA子の実家で暮らそう。」
A子「カリパイ・・・あなた本気で言ってるの?」
カリパイ「人生1回しかないからね。いろんな生き方があってもいいんじゃないの?ははは。」
そう言って、泣きはらした顔のA子を強く強く抱きしめました。
A子の実家での暮らしがスタート
借りていたコンドを引き払い、A子の実家での暮らしがスタート。
こういう表現が適切かどうか分かりませんが、そこは日本で生まれ育った人が暮らしていくにはかなりタフな状況と言える環境でした。
A子の実家での暮らしの様子は、ブログ内で何度も記事にしていますが、冗談抜きでネタの宝庫です。
それまで暮らしていたコンドに当たり前のようにあった温水シャワー、トイレの便座、エアコン、冷蔵庫など一切ありません。
A子の実家がある場所は、A子の家族(親戚一族)が所有している土地を何分割にも細かく分けて、それぞれの家族が自力で家を建てています。
なので、気が付くと家の中には「この人誰だったかな?」という具合にいろんな人が出入りしています。
プライバシー?そんなものは1ミリもありませんよ。
しかも、会話はすべてビサヤ語です。
なので、彼らが何を言っているのか全くわからず、その都度A子に通訳をしてもらっていました。
その中でも最初に苦労したのが、A子の子どもたちとのコミュニケーションです。
子どもたちはまだ小学生・幼稚園・赤ちゃんと幼く、もちろん英語で話すことができません。
なので、カリパイはつたないビサヤ語を使って必死に子どもたちとコミュニケーションを図っていました。
具体的には、単語を並べそこに身振り手振りを加える。でも途中から思ったんです。
カリパイがビサヤ語をマスターするよりも、彼らに英語を教えた方が早いんじゃないかと。
そう考えるようになってからは、なるべく英語を使って子どもたちに話しかけるようにしました。
そして、たまに日本語も混ぜるようにしましたが、彼らにとってはそれが日本語だという認識はなく、英語も含めた「外国語」だったようですね。
「ガワス ダメ オッケー?(外行っちゃダメだよ、分かった?)」みたいな感じです。
コミュニケーションがとれるようになってくると、次第に子どもたちへの教育やしつけに目が向くようになりました。
A子の実家には、A子の両親と兄弟、A子の子どもたちが住んでいました。
3人いるA子の兄弟はいずれも働いておらず、基本的には毎日家にいます。
両親もすでにリタイア生活のため、家計を支えているのはA子とカリパイとなります。
二人が働きに出ている間、子どもたちの世話はA子の両親と兄弟たちがしてくれているのですが、とくかく甘いんですね。
例えば、夕食時。嫌いなメニューが食事に出たとき、子どもたちはまったく手を付けません。
そして、スナック菓子に手を伸ばし食べ始める始末。
さらに残念なことに、それを誰もとがめようとしません。
当然ですが、カリパイはそれを注意しますし、A子も同じように注意します。
すると子どもたちは泣き叫び、両親や兄弟たちが「まぁまぁ、まだ子どもなんだから」となだめようとします。
他にもこんなことがありましたね。
夜9時には布団に入ろうと子どもたちと約束をしました。
ところがです。
子どもたちが寝ているすぐ目の前で、兄弟たちが大音量でテレビをつけるわけですよ。
「子どもが寝られないからテレビの音を小さくして欲しい」というと、「えっ?何がいけないの?」という表情で渋々音量を下げる始末。
カリパイがいくら子どもにしつけや教育をしようとしても、その前に大人たちがしつけし直さないといけないような状況なので、この部分に関しては毎日かなりのストレスがありましたね。
やはり、文化が違うところで暮らしていくのは難しいのだろうか。
なぜ兄弟たちは仕事もせず、ただ家にいるだけなのか。
そして目の前で、子どもたちも同じ道を歩むべく大きな流れが・・・。
なぜフィリピンには多くの貧困層がいるのか考えてみてください。
もちろん、様々な要因がそこにあるでしょう。
カリパイが経験してきたことから感じたのは、「圧倒的な教育環境の悪さ」です。環境という言葉を使ったのは、その責任が子どもではなく大人にあると考えるためです。
- 金銭的問題から学校へ通わせることができない家庭の事情
- 教育カリキュラムや教員の質の低さ
- 教育問題を棚上げしている政府の姿勢
- 貧困層が無くなっては困る一部の富裕層の思惑
生まれてきた子どもに罪はないのに、人として豊かに暮らすことを選択する自由を、結果的に奪っている周囲の大人たち・・・。
A子の子どもたちを見ていて、いつしかそんなことを考えるようになりました。
2回目の大きな決断
子どもたちともっとかかわりをもちたいと考えた結果、会社にお願いして在宅での勤務を認めてもらいました。
在宅勤務になった分、給与は下がってしまいましたが、学校への送り迎えなどを含め、子どもたちと過ごす時間を圧倒的に増やすことに成功しました。
毎朝7時に子どもたちをバイクで学校まで送っていきます。
昼間は仕事をしながら一番下の娘の世話をし、夕方になると再び学校へ上の二人を迎えに行きます。
この間、A子は仕事に出ているので、通訳に頼ることができません。
ですが、そんなカリパイの苦労を知ってか知らずか、子どもたちとの距離はグングン近くなっていきましたね。
「オレ、一応父親やれてるのかな?」なんて、考えることもあり、急がしい毎日でしたが心には充実感があふれていました。
ところがです。
この暮らしも良いことばかりではありませんでした。
同じ屋根の下で暮らすと、いろんなことが見えてくるものです。
子どもたちを学校へ送っていき、家に戻ると兄弟たちはまだ寝ています。
カリパイは簡単に朝食を済ませたあとすぐにパソコンを開いて仕事を始めるわけです。
しばらくして起きてきた兄弟たちは、テレビを見ながらダラダラと朝食を食べ、その後も何をするわけでもなく、スマホを触りながら家の中でごろごろしています。
カリパイが仕事用として用意したポケットWi-Fiがあるのですが、どこで手に入れたのか彼らもパスワードを知っていて、我がもの顔で使っています。
するとどうなるか。
一日に使用できるデータ容量がすぐに一杯になってしまうんです。
そのたびに、カリパイは仕事に支障をきたすわけで、本当に困っていました。
当然A子に相談し、彼らに接続しないよう伝えてもらいましたが、「ちょとだけだから」「今だけ」など、適当な言い訳をして使用し続ける彼ら。
こっちはいろいろ切り詰め、やりくりしながら仕事用に使っているのに・・・。
仕事もせず、朝から晩までスマホを触ってゴロゴロして過ごす。
Wi-Fiを勝手に使い、大音量でテレビを見ながら爆笑。
こっちが仕事をしてることなどお構いなし。
それでいて、3度の食事は欠かさず、ビールもタバコもグビグビ、スパスパ。
最初のうちは、「ここで住まわせてもらっているから我慢しよう」と思っていましたが、徐々に「なんか違うぞ?」と思うようになりました。
もしかして、自分がここにいることで彼らをダメにしているのでは?
カリパイとしては、子どもたちに栄養のある食事を食べさせ、電気の付いた明るい部屋で勉強できるよう電気代を払い、そのために頑張って働いて給与をもらう。
自分の中では何一つ間違っていないと信じてやっていたことが、思わぬ事態を招いていたとは・・・。
そうです。子どもたちのためにと思ってやってきていたことは、見方を変えれば、彼ら兄弟たちが「何不自由なく快適に暮らせる」ことを助長していたのです。
カリパイが使いたいのでシャンプーを買いますよね。
でも、そのシャンプーを家中の人間が使います。
すると、たった3日でシャンプーが切れてしまいます。
あれ?おかしいぞ。
いつの間にか、カリパイが家族全員の生活費を負担しているじゃないか。
百歩譲ってそれはよしとしましょう。
外からお金を稼いでくるのはカリパイな訳なので、そのカリパイが仕事をしやすいよう協力してくれるなら。
もしくは、たとえ稼ぎが少なくても、外へ出て働いてくれるなら。
「働かざる者食うべからず」って言葉がありますよね?
でも、ここフィリピンではそういうニュアンスの言葉はありません。
つまり、そういう概念がないんです。
今ケースを言い当てる言葉は「持つ者持たざる者へ与えよ」です。
彼らの立場からすると「持ってる者からもらうのは当たり前」となるでしょう。
彼らにとって報酬は、努力の対価ではなく、無償なんですよ。
おそらく、フィリピンにはこのような家庭が他にもたくさんあると思います。
家族の中の一部の働き手にすべてぶら下がる・・・。
働く側は、「もっと期待に応えなきゃ」「自分が頑張らないと」とどんどん背負い込んでいく。
ちょっとフィリピンをかじったことがあるような日本人が「フィリピン人は家族思いで幸福度が高いですね」とか言っていますが、一体どこを見てそんなこと言ってるんでしょうか。
セキュリティガードのいるコンドミニアムに住み、毎日外食をしながら「フィリピンのことは任せとけ」みたいなマウントをとっている人に言いたいですね。
「一度本気で貧困フィリピン人と一緒に暮らしてみなよ」と。
きっとフィリピンに対する見方や考え方がガラッと変わると思いますよ。
まぁそんなわけで、カリパイは在住日本人とつるまないんですけどね。根本的に考え方が違うので。
ちょっと話がそれましたが、子どもたちのために良かれと思ってやっていたことが、結局兄弟たちの自立への芽を摘んでしまっていたことに気付いたんです。
カリパイはA子に相談し、思っていることを正直にすべて話しました。
その結果、子どもたちと一緒に実家から出て暮らすという結論に至りました。
新たな暮らしのスタート
こうしてやって来たのが、現在住んでいるアパートです。
実家暮らしのときには多少なりとも当てにできていたサポートが、完全になくなりました。
子どもたちの世話は、カリパイとA子の二人で頑張るしかありません。
そのため、A子は通勤に時間のかかる勤め先だった会社を辞め、近くで働ける職場を探すことになりました。
異国の地で守るべき家族がいるこの状況。
賃貸アパートとはいえ、何だか一国一城の主にでもなった気分でした。
朝は5時に起き、子どもたちが持っていく弁当の準備や、身支度の世話をし、学校への送り迎えの合間に仕事をしながら家事もやっつけていく。
そんな忙しくても充実した生活が続いていました。
子どもがいると、どうしても子ども中心の生活になりますよね。
そのせいか、この頃には子どもたちもカリパイにしっかりなついていて、食事のマナーや公共の場での立ち振る舞い方などを教え込んでいきました。
逆にフィリピンの文化やビサヤ語については、子どもたちと一緒になって勉強しました。
カリパイたちの住んでいるアパートは、A子の実家から近い場所にあります。
「おじいちゃんとおばあちゃんが寂しがるから」という理由で、週に一度は子どもたちを実家へ連れて行き、ときには、A子と子どもたちは実家に泊まっていくこともありました。
これを聞くと日本でもよくある光景なので、特に違和感はないでしょう。
ところがです。
家族愛という名の寄生生活が染みついているA子ファミリーにとっては、カリパイたちが実家を訪れるときは、「あれがない、これが必要」とねだる大チャンスな訳です。
A子の再就職先がまだ決まっていないこの状況では、正直言って実家ファミリーを大々的にサポートする余裕などありません。自分たちの暮らしで精一杯ですからね。
そんなことが続いたため、カリパイは次第に実家へあまり顔を出さなくなりました。
反対にA子は「ちょっと様子見てくるね」と、実家へ顔を出す頻度が高くなっていきました。
徐々に分かってきたA子という人間
以前コンドミニアムで暮らしていたときは、毎日ほぼ外食でした。
といっても日本食レストランではなく、近所のカレンデリア(食堂)で済ますことがほとんどでしたけど。
A子の実家で暮らすようになってからは、食事はA子のお母さんが作ったものを食べることが多かったですし、カリパイが食べたいもの(日本食風なもの)があるときは、自分で作っていました。
そうなんです。
実はこれまで、A子が料理をしているところを見たことがなかったんです。
そしてそれは、アパートに引っ越ししてから、確信に変わりました。
「A子は料理ができない」
いやいや別に問題ないですよ。
カリパイは「女性は料理担当だ」とは思っていない人なので、できる人がやればいいんですよ。
料理がダメなら他の家事をしてくれればいいわけですし。
ですが、結果的に「料理・掃除・洗濯・子どもの世話」これらすべてをカリパイがやっていました。
もちろんここには「仕事」も加わります。
じゃあA子は何をやっていたのか?
その答えは・・・「一日中スマホ」です。
カリパイが料理をしているときも、子どもたちが何か話しかけているときも、ずっとスマホを握りしめ画面を見ています。
カリパイのときは別にしても、せめて子どもが話しかけているときぐらいは、スマホから顔を上げて、ちゃんと目を見て話を聞いてあげてよと何度も伝え、そのたびにケンカになっていました。
家のことをすべてカリパイ一人でやり、もちろん在宅で仕事もしています。
肉体的な疲労だけでなく、取引先との不毛なやり取りなので精神的にも疲弊するときがあります。
自分に余裕がなくなってくると「なんで全部オレ1人でやらなきゃいけないんだ」「少しは手伝ってくれよ」と思うようになります。
でもその横では、ベッドに寝転がってスマホをいじっているA子の姿が。
カリパイが自分の人生の中で培ってきた「持ちつ持たれつ」という概念が、ものの見事に砕け散っていくのを実感していました。
自分の性格上、一度でも?マークが付いてしまうと、もうそこからは何をどうやってもマイナスの気持ちでしか受け止めることができなくなります。
「こいつは何のためにオレと付き合ってるんだ?」「自分は何のためにこいつと付き合ってるんだ?」「そもそもオレはここで何をしてるんだ?」
そんなことを繰り返し考えるようになっていきました。
「この家から出て行け!」
アパートに引っ越してきてから3か月が経過したある日のこと。
朝から元気のない一番下の娘のおでこを触ると、どうやら熱があるようです。
急いで薬局へ行き、冷えピタシートを買ってきました。
そして、汗をたくさんかかせるためにTシャツを二重に着せ、ベッドで添い寝をしながら様子を見ていました。
しばらくすると娘の寝息が聞こえだしたので、ベッドから出て机に戻り仕事を続けました。
それから2時間後。
娘の服を着替えさせる必要があるため、一旦仕事の手を止めようとしたとき、取引先から緊急のミーティング(音声チャット)が入ってしまいました。
カリパイはA子に「娘の着替えをお願い」と頼み、ミーティングに参加しました。
ミーティングは1時間ほどで終了。
急いで娘の様子を見にいくと、まだ同じ服を着ているではありませんか。
カリパイ「A子。娘の着替えは?さっきお願いしたよね?」
A子「今からやるからちょっと待ってて」
カリパイ「は?今何やってんの?」
A子「まぁちょっと・・・」
カリパイがA子のスマホをのぞくと、ユーチューブでビデオを見ていました。
カリパイ「A子。話がある・・・」
A子「何?」
カリパイ「スマホから顔を上げろ!」
A子「は?だから話って何?ちゃんと聞いてるじゃん!」
カリパイ「娘が汗をかいてるから服の着替えを頼んだよな?なんでまだやってないんだ?」
A子「だから今からするって言ってるじゃん」
カリパイ「オレは会議があって手が離せないからA子に頼んだんだぞ。おまえそれでも母親か!」
A子「・・・」
カリパイ「娘は熱を出して苦しんでいるのに・・・」
カリパイ「もういい。出て行け。」
A子「は?」
カリパイ「は?じゃねぇよ。おまえに子どもたちの世話は無理だ。」
A子「・・・」
カリパイ「それにオレに対してのリスペクトもなし。」
A子「・・・」
カリパイ「家族って、お互いが協力し合うものなんじゃないのか?お互いがリスペクトし合うものなんじゃないのか?」
カリパイ「A子、おまえいつもオレに言うよな。家族が大事だって。それがフィリピンスタイルだって」
A子「・・・」
カリパイ「おまえのやってることは単なる依存だよ、依存。」
カリパイ「今すぐ出て行け。子どもたちの面倒はオレが見る。」
そうカリパイが言い放ったあと、A子は黙って1人で家を出て行きました。
「あぁもう終わったな・・・」このときカリパイはそう思いました。
家を出て行ったその日の夜、A子がアパートに戻ってきました。
そして子どもたちに身支度をさせた後、3人を連れて再び出て行きました。
A子「子どもたちを連れて実家へ行きます。」
カリパイ「分かった。」
このとき、カリパイとA子で交わした会話はこれだけ。
子どもたちは「なぜ今から行くの?」「行きたくない」と言っていましたが、A子はその声を無視して子どもたちの手を強引に引いていきました。
そして、カリパイにとってその日は、子どもたちと顔を合わせた最後の日となりました・・・。
その後どうなったのか
A子が子どもたちを連れてアパートから出て行って数日後。
いつものように部屋で仕事をしていると、突然玄関のドアが開きA子が入ってきました。
A子「おはよう。」
カリパイ「あぁ、おはよう。」
カリパイ「何の用事?」
A子「別に・・・。」
A子「これ持ってきたから、後で食べてね。」
そう言って、少し大きめのタッパーをダイニングテーブルの上に置くと、A子はまたスマホを触り始めました。
カリパイ「わかった。」
A子に対して短く返事をし、そのまま仕事を続けました。
2時間ほど過ぎた頃、「じゃあね」と言ってA子は帰っていきました。
こんな感じのことが、1週間に1回ほどのペースでしばらく続きました。
A子が来るときはいつも突然です。
事前に「今から行くよ」とメールをするわけでもなく、いきなりやって来ます。
基本的にはあまりA子と話をしませんでしたが、たまに子どものことや、実家の様子について聞く程度でした。
そして次第にA子がやってくる頻度が2週間に1回、1ヶ月に1回と減っていきました。
この間、A子や子どもたちの荷物、実家から運び入れた家具等、手つかずの状態でずっとアパートに置いたままでした。
A子がアパートを出て行ってから3ヶ月後。
カリパイから「荷物はどうするの?」とメールを入れました。
するとA子から「近いうちに取りに行く」と返事がありました。
もうこの時点でカリパイは、A子とのよりを戻すつもりはありませんでしたし、子どもたちのことも諦めていました。
いや、そもそも自分の子どもじゃないし、逆によくここまで面倒を見てこられたなと自分を褒めてあげたい気分です。
ですが、ちょっと待ってください。
この3ヶ月間、ずっと考えていたことがあるんです。
それは、「なぜA子は荷物を部屋に置いたままにしているのか?」ということです。
ここはトランクルームじゃないんだぞ、おい。
もしかして、いずれここに戻ってくるつもりでいるのか?
いやいや、ただの面倒くさがりで放置しているだけ?
A子の性格から考えると、後者の方が可能性が高いと思いますが、とにかく「なぜだろう?」と考えながらモヤモヤしていました。
もし自分がA子の立場だったら、即荷物を引き上げますけどね。
それで、スパッと SA・YO・NA・RA。
そんな中、アパートへフィリピン人の友人を招いてちょっとしたクリスマスパーティーをすることになりました。
その友人とは、A子の話を共有できており、その日もいろいろ話を聞いてもらう予定でした。
ところがです。
パーティー当日、何と、あろう事かA子がアパートへやって来たんです。
もちろん事前の連絡はなし。
A子に「今日はパーティーをするから・・・」と伝えると、「じゃあ私も参加する」と言って、カリパイの友人たちに混じってパーティーの準備を手伝い始めました。
パーティーは結構盛り上がり、楽しい雰囲気で終えることができました。
A子も終始笑顔で、楽しそうにしていましたね。
その時に交わした会話の中で、A子の近況を知ることができました。
- 新しい仕事が見つかって働いている
- 前職と同じツアー会社だが、今度の会社はそこそこ儲かっている(韓国資本)
- 収入が以前の2倍ほどになった
- 会社の社長からもらったと言っていたが、スマホがiPhoneの最新機種に変わっていた
- 実家の家族は皆かわりないが、一番上の兄が働きに出るようになった
- 子どもたちが「ここへ戻ってきたい」と言っている
なるほどね。
結果的に、A子にとっては良かったということでしょう。
もうカリパイに対しての恋愛感情はないとも言ってました。
子どもたちが「ここへ戻ってきたい」と言っていたのは少し嬉しかったですね。
ただ、それをなぜカリパイに話したのか・・・。
A子のことなので、きっと深い考えなどなく、ついつい口にしただけだと思いますけどね。
A子との関係はこれで解消となりましたが、カリパイなりにいろいろやってきてのことなので事実として受け止めています。
実家の兄弟たちが何もせず寄生生活をしているのを見て、そして、子どもたちの教育環境を整えるためにと、実家を出てアパート暮らしを始めたわけですが、結果的にA子の家族は以前より少し前進できたようで何よりです。
カリパイがとった行動が、その引き金となったと信じたいところです。
クリスマスパーティーからおよそ1ヶ月後。
ようやくA子がすべての荷物を運び出しました。
その日以来、A子がアパートへ来ることも、メールを送ってくることも一切なくなりました。
そして、今日に至るというわけです。
まとめ
現在の心境など
A子がアパートを出て行ったあの日から、もう1年以上が経ちました。
今こうして、当時の様子を思い出しながら文章を書いていて、正直いろんなことを思い出しています。
その当時は腹が立つことやイライラすることが沢山ありましたが、今思えば、楽しかったことや幸せだと感じたことがいっぱい頭に浮かんできます。
ブログでは、A子のことを「カリパイ妻」という名で表現してきました。
妻という言葉を使ってきたのは、カリパイなりの覚悟の表れだったんです。
ですが、実際は「彼女」でしたし、現在は「元彼女」となりました。
未練はあるのか?
「100%ない」と言えばウソになりますが、もう過ぎたことです。
過去にすがっていても、新しいものは生まれません・・・。
そういう思いで、この1年間を過ごしてきました。
ですが、今こうしてブログを書きながら振り返ってみると、「こうなってしまったのは結局何が一番の原因だったのか?」という部分を掘り下げて考える必要があると感じます。
その当時からもいろいろ考えましたよ。
- 結局、A子はお金(支援)が目当てだったのではないか
- 生活経験や文化の違う者同士は、やはり理解し合うのが難しいのか
- ただ単に自分が魅力のない人間だったのではないか
しかし、今だにその結論は出ていません。
いや、もういいんですよ。どれが正解だったのか、答え合わせする必要はないでしょう。
すべてが正解でしょうし、すべてが不正解でしょう。
これまで関わってきたすべての人が、カリパイが現れた以前より少しでも前向きに人生を歩んでいるのなら、それでいいんじゃないでしょうか。
え?自分はどうかって?
また一歩ずつ進んでいけばいいんですよ。
今現在のカリパイの暮らし
完全に引きこもりになりましたね。
一日中家の中にいます。外へ出かけるのは、5日に1回あるかないかでしょうか。
取材で出かけるとき以外は、ほぼ100%家にいます。
なので、ヘタをすると何日も声を発しないときがありますし、日本語を話す機会はほぼゼロです。
せっかく頑張っていたビサヤ語の勉強も頓挫しています。
なんせ話し相手がいませんからね笑。
今後について
こうなってくると、そもそも論になってきますが「セブで暮らす必要があるのか?」と自問することが多くなりました。
フィリピンやセブ、フィリピン人のことが好きか嫌いかと言えば「好きではない」ですね。
ずるい言い方かも知れませんが本当です。
ですが、フィリピンやセブ、フィリピン人のことは、とても興味深いと思ってます。
ここでの暮らしは快適かどうか?
不自由・不便なことが多いですから、決して快適とは言えません。
ですが、何とも言えない「やりがい」みたいなものを感じるのもまた事実です。
何と言いましょうか、不便だけどその分自由があるというか、腹が立つことも多いですが、そこを乗り越えることができれば自分の成長を感じることができるというか。
「好きじゃないけど不思議な魅力のある国・人たち」
この表現がピッタリ当てはまると思います。
よく「○○が好きなんです」っていいますよね。でも「好き」っていう感情が一番表に出てしまっていると、そこから更なる発展や成長、よりよくしていこう、もっと改善したいという思いは後回しになる気がするんです。
例えば「子どもが好きだから教員になりました」って言う人いますよね。でもそういう人って逆に「好きな子どもに嫌われたくない」という思いから、ただ単に子どもたちに受けの良い「表面的に優しい先生」になりがちではないでしょうか。
本当に子どもたちのことを考えているのであれば、子どもが好きかどうか何て関係なく、子どもたちにとって必要な力を引き出し高めることが第一の目的になるはずです。
なので、自分の考えとしては「嫌い」ぐらいから始まって、それをどうやって「好き」に変えていってやろうかとエネルギーを注ぐことに魅了を感じます。
というわけで、まだしばらくはセブで頑張ってみようと思ってまーす!
ですが、そのためには何か支えが欲しいのも事実です。
とりあえず、話し相手が欲しい笑。
本日より、私カリパイ、彼女大募集中宣言をいたします!
どなたか「カリパイに興味がある」という物好きな方がいらっしゃいましたら、どしどしご連絡くださいませ!
本当に最後に・・・
ちょっと長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
この時点で16,000文字超えてますからね笑。
最後になりましたが、ここで重要なお知らせがあります。
冒頭でも述べましたが(もう随分昔の話のようだ・・・)、本ブログ『カリパイの日々』は、これをもちまして終了とさせていただきます。
ここには、A子や子どもたちとの思い出が沢山詰まっていて、このまま続けるのがちょっとしんどいんです。
かといって、「削除したれ!」とは思えません。
事実は事実として、消すことができない・・・。
なので、ブログはこのまま残します。
これまで沢山の人に読んでいただき、時には温かい励ましの言葉、面倒くさいコメントもありました。
自然消滅していくブログは数多くありますが、カリパイはここでケジメをつけさせていただきます。
本当にこれまでありがとうございました!
またいつの日か、お会いできる日が来ることを信じて・・・。
あっ、そうそう。メインブログ『伝説のKalipay』は絶賛継続中ですからね。
こちらはこれからもバシバシ更新していきますので、よかったら遊びに来てください!
繰り返しになりますが、今まで本当にありがとうございました。
ではいつもの締めで終わりたいと思います。
拝読させて頂きました。このブログの大ファンだったので、終了大変残念です。フィリピンのことをもっと知るために読み始めましたが、次第に面白いから読んでいました。あまりブログは読まないので、カリパイさんの文章やレイアウト、視点がいいところをついているため読み進めてしまうのだと思います。切に、異なる分野であってもカリパイさんのブログを拝読出来ること望んでおります。
Mihooさん
Mihooさんの温かい励ましの言葉、身に余る光栄です!
本当にありがとうございます。
そして、これまでお支えいただき感謝の気持ちで一杯です。
記事のタッチは違いますが、メインブログ『伝説のKalipay』は今後も変わらず続けていきますので、よかったらそちらもご覧くださいね。
もちろん、『伝説のカリパイ』は引き続き愛読させて頂きます。どうぞこれからもよろしくお願いします(^^)
こんばんは!
ちょっと忙しくてブログが見られない状態が1週間ほど続いていました。いま見てびっくりしています。
ほんとうにびっくりです。いつも読んでいて率直で親切心あふれるカリパイさんのブログに感謝していました。
ありがとうございます。
怒涛のいきおいで新ブログを立ち上げたようで、またまた深い感謝です。
カリパイさんのような人がひとりでも増えたらセブの雰囲気ももってよくなるのにと思います。
「好きじゃないけど不思議な魅力のある国・人たち」本当ですね。私もいっつもセブのいいとこ探しといい物作りの連続です。
好きといえるようなところではなくても、頑張ってみようと思ってしまうところがあります。
カリパイさんみないな人がセブでまだがんばってくれようとしているのはセブの人たちにとって本当に幸せなことだと思います。
(そんなの無理ですが)無理せず、楽しみを残してがんばってくださいね。
kujiranさん
この度はご心配をかけてしまい申し訳ありませんでした。
このブログに区切りを付けるのは自分の中のケジメでして、ブログ活動を止めるつもりはありません。
「カリパイの日々」というブログ名で活動を続けていながら、日々の生活内にあるモヤモヤを抱えたままこの一年過ごしてきました。
読者にとってはいつもと変わらない記事でも、書き手にとっては「なんかスッキリしない」といった感じでした。
この投稿をもっと早くに書けば良かったのですが、なかなか気持ちの整理が付かず・・・。
いずれにしても、kujiranさんのようにいつも温かく見守ってくださる方のおかげで、これまでブログを続けられてきているのは事実です。
感謝という言葉では言い切れないほど、感謝しています。
本当にありがとうございます!
そして、これからもよろしくお願いします!
これからもよろしくお願いします!